robe、人生で二度目の救急車に乗る。
前回の記事、「ぎっくり首」発症から、まもなく1週間が経とうとしています。どうもrobeです。
しかしこの短期間の間に夜間の救急病棟にお世話になったりもしました。てへ。
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てへじゃねーよーー
もうほんっっとうに踏んだり蹴ったりだよーー(怒泣)
GAOさんのLIVEチケット、ムダになっちゃったしよーーー
行って実物を拝見したかったのに、歌、聴きたかったのに・・・
くそーーーーー
厄年か?厄年なのか?いやもう終わったし?なんだ変な霊がついてるのか?お払いいくべき?
・・・
いや、単なる不摂生・暴飲暴食の成せる業だったのでしょう。
おそらくね。
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しかし、ことは突然だったのですよ。
夜中とにかく気持ち悪くて目が覚めて、そこから下痢は止まらないし、嘔吐感がひどくて洗面器にずっと頭突っ込んでは(しかし私は吐けません。嘔吐恐怖なのか、小さい頃は乗り物酔いで、ものすっごい吐けたのに。。@遠足)
もうどうしようもなくなって、ちょっと大袈裟だけど、「あ、やばい」とか思って、ついに夜間に109を回してしまいました。税金を使ってしまってすみません。(高校生の頃、食中毒で一度救急車で運ばれた経験アリ。その記憶もあったと思います)
そして夜間救急に運び込まれて(余談だけど、救急車のサイレンってやっぱり消してはくれないのね。。電話したときに静かに来てくれますか?って頼んだけど、断られちゃった)、点滴などの処置を受けながら検査をするもおそらく食中毒ではなく、ウィルス性か細菌性の急性胃腸炎ですね、と。そして一応インフルの検査をされるも陰性、しかし発症からまだ間もないので陰性が出てる可能性もありますと言われました。
・・・・
そして朝の7時に病院を出ました。しかしまだ高熱だしフラフラな頭でタクシー呼んで4時間ぶりに自宅に帰還。請求額は約9000円。。点滴と血液検査だけでこれだけいくか~~
・・・たっかくないですか。そうでもないんですかね。
家で寝つつも熱が中々引かず上がっていくばかりだし、関節痛が辛すぎるので、インフルを疑い、身体引きずって今度は近くの内科に飛び込んだんですが、これまた1時間以上待たされ、そこででた結果は「陰性」。。貰ったお薬は漢方と高熱用の解熱剤。
もうなんか色んな意味で落ちまくって帰りました。
そこから丸一日は、熱と痛みで唸っておりましたが、ようやく落ち着きを見せ、人心地を得ました。
正直ね、今回の件はなんというか、徒労感が半端なかったっす。
なんかこう「ひとり相撲感」が。
救急車で運ばれるような人っていうのは、ものすごく血が出てるだとか、血液検査したら「あなた!どうしてこんなになるまで放っておいたの!?」とお医者様が血相変えるような数値が出るとか、なんかこう目に見えて「緊急かつ重病である」という人が資格をもっている、と思えるからです。胃腸炎で呼ぶかあ?みたいな、ね・・・
そしてその後も、ふらっふらになりながらインフルの再検査をしに別の病院に赴くのも、「これは紛れもなくインフルエンザ●型です」と言われてはじめて報われる、というか・・・
(なんかおかしなこと言ってる)
「・・・・こんなんで夜中に救急車で来るなよ」
「これくらいの症状なら、もう1日待ってから検査来いよ」とか、思われてるんじゃないかなあとか、そんな風に思えてしまうわけですよ。(読んでる人の中にもそういう風に思った人、いるのじゃないかなあ)
結局、運ばれてから4日目を経た今。
私は普通に起き上がれるようになり、ご飯も飲み下せるようになりました。さっきなんかコーラとか飲んじゃいました。ちょっと胃がきゅっとしたけど、それもまたよし。(よくない)
でもね、今回のことで、ちょっと考えたことがあります。
人によって、痛みの閾値って大分違うんじゃないかなって。
私もね、我慢はしないわけじゃないですよ。
というか我慢した上での、決断でした。救急車呼んだのも。
大袈裟だ、と言われたら確かに「てへへ・・・すみませんでがす」としか返せないんですが、私の感覚ではあれは「呼ばずにいられなかった」んです。
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昔から、ものすごく「痛み」に敏感な子供でした。
怪我の痛みも腹痛も頭痛も歯痛も、ありとあらゆる痛みにすごく弱くて。元来あまりからだが強くないのか今までの人生でインフルエンザは10回はかかっていると思うのですが、そのたびに一番辛いのは、熱とかダルさよりも、インフル特有の「関節痛」だった。もう足を曲げたり伸ばしたり抱えたり、一晩中逃しようのない痛みにうめいてた(てか今も)。
勿論心の傷にも、ものすごくセンシティブでしたわ。悪口とかへの免疫の弱さったら。〇〇ちゃんがあなたの悪口言ってたよ、なんて聞いた日には本っ当に一日目の前が暗くなるくらい落ち込んで、じくじく痛んでた。「そおんなの、気にしなきゃよくない?」とか言ってる子を、マジで超人だと思ってた。
そんな私ですから、どうも自分は人より痛みに弱いらしい、とは昔から漠然とは思っていたわけです。そしてそのことを恥じていました。
単純に痛みに弱いって、なんかヤワ、というか「かっこ悪い」じゃないですか。「我慢強い」ってそれだけでなんか格好いいイメージあるし。
斉藤一人さんという方が言ってたんですが
「人の脳はストレスを紛らわせるために、痛みを出します。ストレスの負荷を感じさせないために、痛みという形で発散させようとするのです」
これ聞いたときに、なんか私にとってはすごく腑に落ちたんすよ・・・
上記の通り、「痛みに弱い」から形作られてきたといっても過言ではない私の人生(イヤだな)、その中でも数年前に引きこもってた時代、私はとにかく痛がってました。
首が痛い、肩が痛い(これは現在進行中)、背中が痛い
どこの病院にいっても原因が分からない。
医学的には私の身体は健康体だったのでしょう、でも痛いことはどうにも確かだった。痛くて痛くて夜中泣いてた。
そして当時の私は、ストレスフル、というよりもうストレスしか感じてない日々だった。(引きこもりの人は楽してる、と思う人は全く分かっていないと思います。それがどれだけストレスフルなことか)
そのストレスを少しでも減らすために、当時あれだけ痛みを感じさせていたのだとしたら・・・と考えたらものすご~く腑にオチたのよ。
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だからね。
自分が、痛かったり苦しんだりしてるときに。
「大袈裟だ」とか
「それくらいみんな我慢してる」
って、言われたら、
「ああ、そうか。わたしは我慢が足りないんだ。」とおもうべきだと思ってた。
でも、そう考えた結果、当時の私は楽になれたか?
全然です。痛いのは私で、苦しいのは私。
それだけは他の誰にも分かってもらえない。
他人がいう「たいしたことないよ」なんてね、屁のカッパですわ。
そしてその痛みをどうやってひかすことができるのか(その痛みから救い出すか)、を誰より親身になって考えてあげるのも私なんだよな。
今回の場合で言えば、病院にいくことなのか、誰かにヘルプを出すことなのか、はたまた我慢をきめこむのか。決めるのは私。
原因不明の首や肩の慢性的な痛みなら
「わたしは、どうしてこの痛みをかんじているのか」を考える。
この痛みを感じることで、本当はもっと感じたくない痛みを感じさせないようにしているのではないか、と考える。
その感じたくない痛みとは、なんなのか、を考える。
自分の痛みを感じられるのは自分だけ、それを我慢する決断をするのも、逃す術を見つけ出すのも、原因を考えるのも、地球上に自分しかいないんだ、と。
* * * * *
長くなりましたが。
だから、結局言いたかったのは、
もう自分が弱いんだ、とか、みんなはもっと我慢してるとか、
そういう風に思うの止めようと思います、というお話でした。
(そうなのか!?)