ぎっくり首になって、考えた。
この週末、本当に寝たきりでした。どうも、robeです。
というのもですね、実は土曜日の朝に、「ぎっくり腰」ならぬ「ぎっくり首」になってしまったのです・・・
この週末土曜日は、次のイベント(※私は仲間数人とパフォーマンスグループをやっております)の稽古始まりで、久々お稽古の準備しつつバタバタと準備していたのです。
稽古着をリュックに入れながら、パーカーを羽織ってさあ一旦ベッドに腰掛けようと思った瞬間、
ぴき!
って音が、なった、ような気がしました。
その瞬間、首に激痛がじわじわと。
「あ、やばい、気がする」
と思ったら、布団にごろりとなり、しばし起き上がれず。
稽古仲間にすぐメールを入れこの非常事態を知らせて、とりあえず落ち着くのを待って病院に行ったところ、「筋膜炎だろう」と言われました。痛み止めと炎症剤と筋肉を和らげる薬をもらって終わり。「ぎっくり首なんですかね」と聞くも、「そんなものはない」と一蹴される。ないんかい。
でもね、本当に所謂ぎっくり腰のような体験だったんですよ。。なったことない私が言うのもなんですが、ぴきっと来た後に途端に立てなくなる的なやつ。なので、ここでは堂々と「ぎっくり首」とさせてください笑。
そこからは本日月曜の朝まで、文字通り「ふて寝」です。
それしかなかったし、でも寝てるにも寝返りがうてないから(うつと痛い)、なるべく体勢を変えないようにして。
しかもその日は、稽古後に観にいく予定にしてたライブもあったのに・・・チケットも取ってしまっていて二重にがっくり。ついてないなあ。でも仕方がない・・・一緒に行く予定にしてた子にも謝りを入れ、とにかく日がなベッドの上。
・・・動けない+痛いって、本当に辛いですね。
普段の健康体がどれだけ大事だか思い知らされます。
今朝は、当初よりだ~いぶ我慢できる感じになったので、湿布の匂いを撒き散らしつつ出社いたしました。ロボコンのような動きで対応しておった次第です。
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そして、ここからが私の書きたいことなんですが。
あのですね、なんとなくなんですが、ワタクシ、このぎっくり首の原因めいたものを感じてるんです。
勿論単純に、こうなった原因としては、コリの蓄積とか疲れとかストレス・姿勢の悪さナド等、そういう理由は確実にあると思います。そうなんでしょう、きっと。
でも。
私の中で、すごく腑に落ちる出来事があった。
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その前日に、友達二人と下北沢にライブを観にいってたんです。
その友達の歌の師匠さんがユニットでゴスペルを歌うということで。ライブは大盛況で(正直スペースが足りないくらいの人・人)、私はその先生一人のみ面識がどうにかある程度でしたが、ゴスペルのプロの方々の歌声に圧倒されました。ゴスペルって、もうパワーをホントに感じる。その人の人間力みたいなもんが直接くる。
聴いてる間、メロディーに自然に乗りたくなる自分の身体と、そして心のどこかで「この人達は自分のやっていることにいささかの戸惑いも迷いもないんだろうな」と思ってました。うらやましかった。
そしてライブ後に、その友達二人とカフェに行って少しだべったんですが。
そこで、その友達の一人が、私ら仲間の一人の近況を教えてくれたんです。まあ、簡単にいうと、ものすごく格好いい宣材写真がアップされてたんですね。その子(仮にAちゃんとします)は、私らの仲間でもあるんですが、もう一つの団体にも所属してまして、その団体がまあ、私らとは規模もファンの数も比べ物にならないくらいのところなんです。
その団体さんで撮影されたAちゃんの宣材写真は、とってもとっても格好よくて。(Aちゃんも男役をやっています)
「いいね!」の数もさることながら、友達ともそれを一緒に見ながら「ヤバイね」なんて言ってたくらい、本当に素敵だったんです。ああ、こりゃファンができるなって。
・・・なんかね、正直観た後に、「ああ、見なきゃよかったなあ」と思ってしまって。これを見たら確実に自分が「落ち込む」ことが分かってた けど、案の定落ち込んだ。
Aちゃんが「迷いなく自分の好きなことに邁進してて、そしてそれを評価される立場にいる(場所にいる)」ということに、どうしようもなく羨ましくなって。醜い感情なのかもしれませんが、これはもうどうしようもない。一旦湧き出た感情を、違う名前に置き換える努力はしますが。
私はここ数週間、ずっとずっと悶々としてきました。
今の職場での自分のよるべなさ。情けなさ。嫌いな人。
今の自分がやっているグループの活動のこと。それに対する自分の不安定な思い。
自分が本当は何をやりたいのか分からないこと。
男役を試してみたくて、ユニットもやりたいと思いつつその足場が出来ないこと。
全部全部、自分が二の足を踏んでいるのも勿論なんですが、単純に本当に気力をどこにどう持っていいか分からない。いや、その気力さえ今は本当にあるのか、という感じです。
自分がやりたいことをちゃんと分かってて、そのことに全力投球していて、その上でそれを評価されている(もしくは反応を貰っている)。
これがとってもとっても羨ましいんだと思う。
分かってはいたけど、そのことを改めて突きつけられて、自分がびっくりするくらいその事を羨んでることに気づいて、落ちこんだ。でも友達の前だからそうと悟られたくないから、明るく振舞おうとしたけど、その瞬間から腰がじわじわと痛み出した。帰りの電車ではずっと手を腰に当ててました。
そして、次の日、首が・・
私にはすごく腑に落ちました。
ここ数週間の全部が、首にきたんだなって。
嫉妬は受身の攻撃性である。(by 加藤諦三)
わたし自身が受身でいる限り(能動的でない限り)、嫉妬心は消えないし、自分が何かに夢中にor没頭していたら、そういう羨む気持ちって起きないんだろうなと思う。
だから、自分がやりたいことを早く定めたい。
そしてそれが、人から「認められる」からじゃなくて、「好きだから」やる、というものをみつけたい。
なぜなら「人から褒められたり認められたりするもの」を基準に決めてしまったら、それが叶わなかったときに私は多分再び猛烈に嫉妬してしまうか、自分をさらに卑下する方向に行ってしまうと思うから。
人に褒められること・認められることを目標とするんじゃなく、自分がやりたいこと・興味のあることを知り、やってみる。そうすればきっと、羨むという気持ちからだいぶ遠ざかれる気がする。
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このぎっくり首から学ぶことがあるとするなら、こんなことなんだろうなと思います。
花椿webサイトの「ダルちゃん」が面白い。
皆様、花粉とはいかが共存しておりますでしょうか。どうも、robeです。
ネットサーフィンが好きな私ですが、たまに自分がピンとくるようなコラムやブログに出会えると、すぐに「お気に入り」登録して全記事読破したくなるような、つまり恋に落ちてしまいます。ダーリン、アイウォンチュー。
その中で、今日は。
「花椿」って皆さんご存知ですか?
資生堂の元は月報らしいのですが、月刊誌としては2016年に刊行が終了し、今はwebサイトの方と、年に4回の季刊誌として流通しているそうです。
私は「花椿」と聞くとまず思い出すのは、天海祐希さんがまだタカラヅカに入る前に拍子を飾った雑誌、というものすごくコアな情報の中で認識してました笑。(昔読んだ天海さんのエッセイかなにかに載ってた気がすんですよね・・・)
この花椿のwebサイトを、なぜ覗くことになったのかあまり覚えていないんですが、そこで、毎週木曜に更新される「ダルちゃん」という漫画が面白いんです。
(2018年3月2日現在は第21話まで更新)
この漫画、勿論第1話から読んでもらいたいんですが、題名の「ダルちゃん」っていうのは、主人公の女性の呼称なんです。
1話から読むと、この女性が「丸山成美」さんというちゃんとした名前のある24歳の派遣社員の女性であることが分かるのですが、なぜ彼女が「ダルちゃん」かはすぐに明かされます。
(※ここからは完全にネタバレになってくるので、嫌な方はここからスルーしてください)
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彼女はいわゆる「ダルダル星人」で、例えばお風呂に入ることやメイクをすること、ハイヒールを履いて通勤すること、これら全てを駆使してようやく「人間」という擬態ができるようなんです。ダルダル星人のときの丸山さん=ダルちゃんは、絵柄的にも本当にアメーバのような宇宙人なんですが笑、会社にいくときや社内にいるときの彼女はきちんとしたOLさんとして描かれています。そして彼女が素の姿を見せる時(自宅にいるときや、一人休憩中の屋上など、擬態をしなくてもよい空間では)、再び「ダルちゃん」としての姿を見せます。
もう、この導入からしてとっても好みだなと思って。社会で生きていくうえで、特に女性は、いろんなもので自分を武装させている、という暗喩ですよね。でも本当は、みんな自分の「ダルダルさ」を自覚している。
そしてこの物語がどういう展開をみせていくかというと、ダルちゃんは社内のとある男性から声をかけられるんですが、この男性との関わりの中で、ダルちゃんははじめて「自分が人を嫌いになる」感覚を知ります。いえ、当初は「嫌いになる」という感覚ではなく男性に対しての接し方が全く分からなくて、がんばって周囲を見ながら「擬態」させていくのですが、この男性はダルちゃんを口説く姿勢はみせてくるものの「自分が常に上位に立った上で女性を自分のモノにしたがる」という中々のクズっぷりで(でも読んでいると分かるのですが、こんな男性いるいるという描写の上手さ笑)、ダルちゃんは当初「この人に必要とされる役割を演じること」にものすごく腐心します。しかし最終的には、この男性から「打ち捨てられた生ゴミみたい」と自分を感じさせれるような展開に。
ここで秀逸なのは、そのことを最初に指摘するのが会社の同僚の女性なんですよね。ダルちゃんが当初彼に頑張って(無理して)合わせているのを見て、「あいつに尊厳を踏みにじられるようなこと許しちゃ駄目だ」と告げるんですが、ダルちゃんはその言葉に反発します。なぜこんなことをこの人に言われなきゃならないのか、と。そしてむしろその彼女のことを「嫌いだ」と思うのですが・・・
ダルちゃんがぼろぼろの雑巾のようになっているときに、彼女は告白してくれるのです。昔自分も似たような男と付き合って、そして自分を踏みにじってしまった、と。そしてその告白を聞いたダルちゃんはおもわず擬態を忘れます、ダルダル星人になりながら涙をこぼすダルちゃんを、「大丈夫、大丈夫」といいながら先輩は抱きしめてくれるのです。
「嫌だな」と思った先輩は、本当は自分の合わせ鏡のような存在で、今まで「擬態」でしか自分をこの世界で溶け込ませることを知らなかったダルちゃんが、初めて知る素の自分=本当の気持ち。ここ、泣けました。
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この物語はさらに進んでいくのですが、もうね、なんかとっても女性に読んで欲しいなと思う漫画です。
女性が抱えるアンビバレンツな思い
・自分自身を愛すること
・人から愛される自分をつくること
これらの両立がいかに難しいものなのか、いまの社会を生きる私たちにはとっても刺さるものがあると思います。
このマンガの作者の「はるな檸檬」さんてどこかで聞いた名前だ!と思ったら。
タカラヅカファンの生態と日常を描いた「ZUCCA×ZUCA」の作者さんだったのね!これも面白いんだなあ~私はそこまでヅカに詳しくはないんだけど(一般のタカラヅカを知らない人よりは基本的知識がある程度。だけど今の5組のトップさんとか知らない・・)
こういうあるあるなことを描くのがとてもお上手なんでしょうね。
(おもうんだけど、全ての物語は「共感」を軸としてて、その共感=あるあるな事をいかに伝えるかっていうのがとっても難しいと思うし、その作者の力量なんだなと思う)
続きが早く読みたいなあと思わせる作品です。
おすすめ。
モテたいから男役。
最近気持ちが滅入ることが多いです。どうも、robeです。
春の訪れ、というか春の足音?ほんとうに小さい足音が聞こえてくるようなまだ全然遠いような、この焦らされるような三寒四温。
身体も結構こたえているのでしょうね。
もうため息と「しにたい」の嵐ですよ。(本気でしにたいと思っているわけではない、でも思わず口をついて出る、という感じ)
ここ2週間色々ありました。
特筆すべきはLの合コンに出た、ということでしょうか。
ずっと行ってみたかったけど勇気がでなくて。
でも行ってみていろんな感情が起こりました。
同性だろうが異性だろうが、モテる人はモテるし、モテない人はモテない。そして人の好みは多種多様だなあ、だから世の中成り立ってるんだだなあとか、そんなことを思わされました。
(このときのことについてはまたどこかの記事で詳しく書きたい)
そして、私は思いましたよ。
「すべて、モテたくてやっているんだな」と。
私は、趣味、というかライフワークのような感じで、仲間とミュージカルショーみたいなパフォーマンスをやっています。大学時代から合わせるともう13年くらいになる。女性だけのグループでミュージカルというとタカラヅカを連想する方も多いと思いますが、まさに「男役」「女役」に別れてパフォームするので、そういう意味では近いです。ただ、耽美ではないし、どちらかというとポップで明るくワイワイのような雰囲気。集まっている人間のもつ雰囲気なんでしょうね。
来る5月にも、豊洲駅前の小さな野外スペースで、そんぐ&だんすします。ここでもお知らせしたいです。(読む人がいるかは不明)
私はそこでも男役をやるんです、というかこの団体では基本的に私は男役。スタイルとか見た目とか含めて、あくまでもウチの中においてはですが。
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そこでね、ここ最近すごく自覚してることがあって。
もうね、私の根本的な欲求として「モテたい」があるんですよね。
もう恥ずかしい、本音まっさら。
「男役」やりたいのは「モテたい」から。
ここが自分が不思議だなと思うのが、私は多分女性としてもモテたい(男性から、という意味)気持ちは0じゃないんだけど、女性から好意を得たいという思いの方が強いということ。だから男役をやるんでしょう。
だけれども、「男役」=「カッコイイ」かというとそうではなくて。
カッコイイ人は男役じゃなくてもカッコイイし、かっこよくない男役もいるもんね。(※ここで言う、「男役」はタカラヅカの方々という捉え方ではありません。むしろそれ以外といってもいいくらい。個人的にはタカラヅカの男役さんは「プロ」だなと思っているので、どちらかというと、私のように外部でやっている人のことを言っています)
私自身がかっこいい女性に惹かれるところがあるので、たぶん憧れを自己投影させたいんでしょう。
かっこいい女性が好き⇒男役に惹かれる⇒自分もそうありたい⇒男役をやる。
Lの界隈で、ダナースと呼ばれる、いわゆる「ボーイッシュ×ボーイッシュ」さんのカップルがいるのも、なんとなく頷けます。(私がそうかはさておき。)
この話はまだまだいっぺんに語りつくせないところがあるので、今日はこの辺りで。
どうしても嫌いな人
同名タイトルの漫画があったように思います。
どうも、robeです。
いま私は、職場で引き継ぎを受けていまして。
来月末で辞めることになった人が一人いて、わたしが選ばれて、その方につきっきりで受けている。
そしてこの人に対して、私は嫌悪感が半端ないのです。今まで同じ職場ではあったけれど、ほとんど関わらないでよかったからあまり分からなかったのですが、今回かなり深く絡むことになって、驚くほどこの人の毒気に当てられている自分が、いる。
一見普通の女性なのに。仕事もできるし、立ち居振舞いもおかしくないのに。
ただ、優しさとか人の心の機微とか、なんかそういうものが決定的に欠けている人な気がする。
(言い過ぎなような気もするがあながち間違っていないような)
この人はおそらくここでは一番仕事ができるのに、肩を叩かれて辞めることになったようで。
正しくは「契約が更新されなかった」。
【契約社員の五年問題】が、おそらくその原因だろうとその人は分析しているし、多分それも一因なのだろうとは思う。(あとは業績不振がそれに後押しをしている)
でもわたしには、このひとが振り撒いている毒気が、本当の本当には原因な気がする。
この人とは働きたくないなあと思わせるなにかが、この人にはある。
わたしはもう、一日でも早くいなくなってほしいと思っている。苦笑。
この業務を一手に引き受けていたこの人がいなくなって、仮に分からない内容がでてきてもそれはもう一向に構わないから(そんなんは何とかするから)、早く早くここからいなくなってくれと切に祈って指折り数えている。
昨日の朝も「嫌だな嫌だな」と思いながら出社し、帰るときも「ああ嫌だったなあ、明日もきっと嫌だなあ」と思いながら帰ってきた。そして今朝も「嫌だなはああ」と思いながら出社した。
ものすごい毒気。
どうしても好きになれない人が、自分のすぐ身近にいることは、すごくつらいっす。
* * * * *
これだけ愚痴の連なりを書いていて、ふと気づいた自分の意識。
わたしはこの出来事を「不運」ではなく「試練」と捉えようとしているのだなあと。
「不運」と捉えたらこの状況が辛すぎるから、「乗り越えなきゃいけないもの」と捉えてる。
そして乗り越えた先には何らかの「成長」があると勝手に思っているから逃げ出さずにとりあえず出社しているのだと。
このことに対して
・早く嵐が過ぎ去るのを待つ。(忍耐力の強化)
・世の中には(職場には)好きになれない人がいるのは仕方ないのよという「大人な意識」をもつ。(成熟度の強化)
・自分の至らなさを振り返る(謙虚心の強化)
・相手のことを読みすぎなくらい慮る、「この人はきっと今辛いor追い詰められているんだろう・・・etc」(人間の深み)
これら諸々の成長を、乗り越えた先に会得できると思っているから、もう吐くほどいやだけど出社してるんじゃないかと思う。(え?大げさかな。いやでも、まじでそこまで大袈裟なつもりないです。今朝起きたら嚥下に違和感あるし。夜中歯軋りってるし。)
つまり逃げ出さないための口実を、「自分の成長」という名目にしてこの状況をなんとか「納得」させようとしているのです。
そして「ここから逃げる(仕事をやめる)」という選択をしないのは、その先にある、諸事(めんどうな諸々。就活をすぐにはじめなきゃいけない、etc・・・)よりは、今の方が耐えやすかろうという選択をしているに過ぎない。
どちらが大人だ、とか格好いいとか、じゃなく
単に「選択」の問題。
成長というていのいい言葉で、自分を納得させることが往々にしてある。
本当に成長しているのか、怪しいものだ・・・
(でもそうでも思わないと、やってらんないじゃないですか。何この罰ゲームって。)
とりあえず。
あとひと月ほどある、この人とのやり取りも、私は今のところは「乗り越える方の選択をする」でいるのだけど、なにか歯車が狂ったら分からないなと思う。
(この職場自体がちょっと怪しくなってきているので)
仕事が続かないということについて
立ち上げたばかりのブログのしょっぱなから、しょっぺえ話をします。
私は今まで、大学卒業から数えて、それこそ10社ほどの会社を転々としてきました。
主に派遣から契約社員、たまにバイトなど。
3日で辞めたところもあります、いや、逃げたという方が正しいか。1ヶ月のところも。
(中には2年勤められた所もあったのだけれど、自分の体調の問題で辞退したところもあり。)
逃げた理由は色々だと思ってたけど、基本ひとつしかない。
「ひと・雰囲気がこわい」
これだけでした。いや、これだけじゃないけど、これが多分一番大きい。(そもそも、「こわい」ってなんだ。ここについてもいつか掘り下げていきたい)
なんてまあ耐性のない、だめだめな人間だと思われると思います。
どんなところにだって合わない人間はいるだろうし、100%不満のない場所なんてあるはずないのに。
私もそう思ったし、そのたびに「自分はなぜ普通の人が普通に乗り越えることができないんだろう」「本当に欠陥人間なんだ」と、辞めるたびに自信を失っていきました。
でも、続けることもできない。悪循環でした。
そして。現在。
一応、来月で1年半続いている職場です。
ここ数年では最長なのです。(レベルの低い話ですみません)
ではなぜ、3日で辞めずに続けられたのか。
ここで、
「実は〇〇で、意識の変革が起こり・・・」
「ついに私は、問題の根本を突き止めたのです!」
と続けられればいいんですが・・・
すみません、ありません。しょっぱくてすみません。
今の職場が1年半続けられている理由。
多分それは、「基本的に一人仕事であり、引継ぎ期間も緊張はしたが眩暈がするような恐ろしいシーンはなく、イヤホンをつけてテレビをつけていても何も言われないという特殊な環境」だからだろうと思います。(改めて書くと、本当にすごい職場だな)
つまり、1年半続いた自分も、3日で辞めた自分も、変わらないんです。
「今回は続いてすごいね!成長したね!」
なんていわれることはあっても、わたしが今回続けられているのは多分に
「この職場の環境が、『最初の自分』にとって耐えやすかっただけに過ぎない」のではないかな~と。
だから、もし世の中に、私のように悩んでいる人がいたら、そして「1年半も続くだけですごい!私はそれすらも続かない」という人がいたら、伝えたいのです。「本当に、運が良かっただけです」と。
入ったときの、雰囲気や環境が、自分にとって耐え難いものではなかっただけ。そして人それぞれ、耐性の閾値は違うし、耐えられる種類(人や雰囲気)は違うから。
理想はね、どんな場所に入っても「ガンガンいこうぜ!」で行けるような人になりたいですよ。でも、中々変われるもんじゃないっす。
だから、とにもかくにも3日で辞めたくない、と思っている人がいたら、ひたすら受けまくり、ダメなら逃げまくり、私のように「たまたま続けられる場所を見つける」、これしかないし、これを否定しなくていいんじゃないかなと思います。
・・・ここでこの文章を終えてもいいのですが。
どうやら、今の職場も、そう長くないことが分かりました・・・
単純に、業績不振やコンテンツの終了という問題で、部署自体が縮小・閉鎖の方向に向かっていることが薄々分かってきたからです。
しかし、わたしには、今ここでこの問題を改めて考えるべき時なんだなと思えたのです。
そう思うきっかけが、ここ数日の自分の身の回りで起こっているので、それもまたお話したいと思います。
はじめまして。robeと申します。
はじめまして。
robeと申します。
いままで他のブログサービスを使って、とにかく不定期&亀更新で、生きているんだか死んでいるんだか分からないような形で存続していたブロガーです。
このたび、名前を替え、姿を変え、このはてなブログで書いてみようと思いました。
理由は、
「私の日々楽しみにしているブロガーさんが、はてなブログ使用者の方が多かったから。」
これだけです。単なるミーちゃんハーちゃん。
そして今まで使っていたブログですと、知り合いにも身内にも知られており、「本音」「少々の毒」「自身のかなりパーソナルな部分」などが垂れ流せないなと不自由さを感じていたからです。
「ええ格好しい」してしまうし。
こちらでは、なるべく感じたまま、格好わるくてもこれが私の感じ方でごわす、と提示できるブログを書きたいです。
私が魅力を感じるブロガーさんは、皆そうだから。
よろしくお願いいたします。